さおとめ家のルーツ
孫六の実家 さおとめ家について うちの家の歴史は大変古いです
さおとめ家の本家に 近江佐和山城主 浅井長政からの感状(表彰状みたいなもの)が残っています。
ということは 今から四百数十年前からあるのですね。その後、江戸時代は 濃州の幕府直括地の代官の手代だったそうです。 まぁ半士半農のような感じですかね!
時は流れて明治 うちはさおとめ家の分家ですが 分家の初代は うちから数えて4代前 藤兵衛爺さん この方実は さおとめ家の長男だった!
しかし 飲む 打つ で 代々の土地をお金に換えて放蕩三昧 遂に 本家を追い出されたとか
しかし 不憫に思われたのか かろうじて 分家として存続したようです。
二代目の静雄爺さん 親を反面教師として お酒飲まない 遊び 一切なし 本当にまじめに仕事一筋 今のさおとめ家の土地 建物田畑を手に入れたそうです。そのため わたくし 孫六は 祖母からは酒だけは飲むなときつく言われ育ちました。それこそ 酒は悪という認識で 祖父母が存命中は 孫六の家にはお酒かありませんでした。
うち 孫六は 次男坊です。さおとめ家からさらに分家し 今は関東に居を構えています。
さて 孫六ですが うちの母に言わせると 藤兵衛爺さんにそっくりだそうで 生まれ変わりといわれいています。確かに うちは下戸です。やり直しで酒が飲めないようにされたのか??
きっと前世の因果かと・・・
博打 ギャンブル 大好きです・・・遺伝 生まれ変わりなのかと 自分でもときどき思います・・・・・
最後に 昔の戸籍謄本について ずいぶん前 何かで 原戸籍(昔の手書きの戸籍謄本)をとったとき うちの実家の戸籍にさおとめ家本家 と書いてありました。曾爺さんが長男だからですね。本当 戦前までは家長制度がしっかりしていたのですね。
とういうことは・・・孫六は本家の分家でいいのでしょうか・・・・?
さおとめ家の本家に 近江佐和山城主 浅井長政からの感状(表彰状みたいなもの)が残っています。
ということは 今から四百数十年前からあるのですね。その後、江戸時代は 濃州の幕府直括地の代官の手代だったそうです。 まぁ半士半農のような感じですかね!
時は流れて明治 うちはさおとめ家の分家ですが 分家の初代は うちから数えて4代前 藤兵衛爺さん この方実は さおとめ家の長男だった!
しかし 飲む 打つ で 代々の土地をお金に換えて放蕩三昧 遂に 本家を追い出されたとか
しかし 不憫に思われたのか かろうじて 分家として存続したようです。
二代目の静雄爺さん 親を反面教師として お酒飲まない 遊び 一切なし 本当にまじめに仕事一筋 今のさおとめ家の土地 建物田畑を手に入れたそうです。そのため わたくし 孫六は 祖母からは酒だけは飲むなときつく言われ育ちました。それこそ 酒は悪という認識で 祖父母が存命中は 孫六の家にはお酒かありませんでした。
うち 孫六は 次男坊です。さおとめ家からさらに分家し 今は関東に居を構えています。
さて 孫六ですが うちの母に言わせると 藤兵衛爺さんにそっくりだそうで 生まれ変わりといわれいています。確かに うちは下戸です。やり直しで酒が飲めないようにされたのか??
きっと前世の因果かと・・・
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最後に 昔の戸籍謄本について ずいぶん前 何かで 原戸籍(昔の手書きの戸籍謄本)をとったとき うちの実家の戸籍にさおとめ家本家 と書いてありました。曾爺さんが長男だからですね。本当 戦前までは家長制度がしっかりしていたのですね。
とういうことは・・・孫六は本家の分家でいいのでしょうか・・・・?
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