50歳に なる前に・・・・その2
今日も一人称 うち では なく 俺 で 書きます。。。
1963年2月22日 午前5時20分・・・
岐阜県の とある助産婦所 で 男の子 誕生!!
体重 約2200g 未熟児 です。。。。
自力で ミルク 飲めなくて 鼻から管を入れて 強制飲料だったそうです。。。
そんな男の子が 今では 立派な??オヤジ!!!・・・そう さおとめ孫六 です。

思えば・・・ この50年 特に 30代後半から40代前半の 約10年!!!
親には 俺の借金で 散々 迷惑をかけた。。。。
特に 42、3歳??・・・だったか????・・・・
家のローンが 支払えなくて どうにもこうにも いかなくなって、、、
朝 埼玉の自宅を出て 高速道路 一路 岐阜の実家へ。。。。。
特に 約束を してあった訳ではない。。。 親が 留守だったらとか 考えも出来なかった。。
切羽詰まった とっさの行動だった。。。。。・・・・
実家に 午後2時前に 着いて、、、、。。。。。
親に土下座!!
100万円 都合付けてくれ!!
いい歳して 年老いた両親に 金の無心をする 自分自身が みじめで 情けなくて・・・・
自然に 泣けた。。。。・・・・あれは 悔し涙???・・いや、、、 己の不甲斐なさからだった。。。
正直 怒鳴られること 覚悟 していた。。。。。
いや それだけではなく、、、 勘当されるかも??と 思っていた。。。

ところが、、、、その時 お袋、、、、・・・・
黙って 俺の話を 聞いていたんだけど、、、、。。。
ふと、 時計を 見て。。。。・・
「2時半か~~。。。 そんなら お父さん 今から 農協行って お金おろしてこようかね。孫六 時間あんまりないから すぐ 支度するから 車 準備せい!!」
その時 親父 も なにも 云わず。。。。。・・・・
俺に向かって 黙って 頷いた だけ。。。。・・・・・
とにかく しっかり やりんせい~。。。子供と◎子(女房の名前)のためにもな!!
悪いな!! お前が そんなに困っていたのに、近くに居てやれなくて・・・・
本当に 申しわけない!!
これが お金渡される時の お袋の 言葉 だった。。。。。
そして このことを さかのぼること 更に 2年ほど前 うちが 40歳くらいの頃、、、
お袋の妹 俺からすれば 叔母 ですが、、、、
金に苦労していた時だった。。。
叔母から 電話が、、、、
「孫六 あんた 最近 どうなんだ???」
俺
「どう??って??」
叔母
「なんか あんたの御母さん 随分 暗くて なんか 悩みがあるみたいなんだけど・・・・、あんたのお兄さんは 元気やし さおとめ家(実家)の 子供たちも 元気やし、、、 考えられるのは 孫六 あんたしか ないんやけど・・・、、、 あんた 借金とか して 困っているんやないか???」
図星 を 突かれて。。。。、、、、沈黙・・・・
叔母
「ちょっと だったら お金 貸すことができるぞ。。 叔父さんもな 孫六のことは 随分 心配しとるんや!!・・・・ 話は 通してあるんで 云ってみやぁ!! もちろん あんたの御母さんには 内緒 やぞ!!」
ありがたかった。。。。。
結局 叔母からも お金 借りた。。。。 それも かなりの金額。。。。・・・・
そんな 叔母は 2年前の ちょうど今頃 他界 した。。。。
その時 借りた お金 全額返済できた(何年か まったく返済ができずにいた)のは 他界する わずか 半年 前 だった。。。。。
全額返す前に 亡くなっていたら 俺は 一生 後悔しただろうな~~。。。
そう!!
今 俺が ここで ノー天気に ブログ 書けているのは・・・・
俺の両親 俺の叔父、叔母 の おかげ です。。。。。
そして、、、
今まで関わってきた 全ての人達 です。
俺の人生は まさに 生かされて・・です。

今の俺の生き方は、、、、
一期一会・・・
この瞬間 瞬間は 2度とないので それを かみしめて!!(大雑把ですが) という 茶道の言葉ですが、
俺自身 この 一期一会とは 人の縁 どんな状況ででも 知り合った人は 俺自身に 必ずなんらかの影響を貰えていると思って 大切 にするべきである。 と 解釈 してます。。。
親 兄弟 親戚 親友 友人 知人 などなど・・・・・
どうしょうもなく 不甲斐ない俺 ですが、、、
考えてみると 人との出会いには 大変恵まれていた。と 思います。
明日 50歳になります。!!
いろんな人に 迷惑ばかり かけていた 俺・・・
そんな俺が、、、 これからは、、、、俺自身で 何が 出来るのか????
また 何をしなければ いけないのか??・・・・親孝行 墓参りは もちろんだが、、、
そろそろ 真剣に 考えなければ いけない時期が きたかな。

今日の記事は 大真面目に 書いています。
まもなく 叔母 の 命日 です。。。
借金返済後 感謝の言葉を 叔母が 亡くなる少し前に手紙で出しました。
叔母の葬儀の日 その手紙が 叔母の家の 神棚 に 置いてあるのを、、、
見てしまった。。。。
長く お金 返せなかったこと 凄く 後悔した瞬間でした。。。。。
そして、、、俺は 身内の深い愛情の中で 生かされていたんだと、、、
いや・・・ 人と人の 深い愛情の中で 生かされていた・・・・と、、、
痛感しました。。。。・・・
1963年2月22日 午前5時20分・・・
岐阜県の とある助産婦所 で 男の子 誕生!!
体重 約2200g 未熟児 です。。。。
自力で ミルク 飲めなくて 鼻から管を入れて 強制飲料だったそうです。。。
そんな男の子が 今では 立派な??オヤジ!!!・・・そう さおとめ孫六 です。

思えば・・・ この50年 特に 30代後半から40代前半の 約10年!!!
親には 俺の借金で 散々 迷惑をかけた。。。。
特に 42、3歳??・・・だったか????・・・・
家のローンが 支払えなくて どうにもこうにも いかなくなって、、、
朝 埼玉の自宅を出て 高速道路 一路 岐阜の実家へ。。。。。
特に 約束を してあった訳ではない。。。 親が 留守だったらとか 考えも出来なかった。。
切羽詰まった とっさの行動だった。。。。。・・・・
実家に 午後2時前に 着いて、、、、。。。。。
親に土下座!!
100万円 都合付けてくれ!!
いい歳して 年老いた両親に 金の無心をする 自分自身が みじめで 情けなくて・・・・
自然に 泣けた。。。。・・・・あれは 悔し涙???・・いや、、、 己の不甲斐なさからだった。。。
正直 怒鳴られること 覚悟 していた。。。。。
いや それだけではなく、、、 勘当されるかも??と 思っていた。。。

ところが、、、、その時 お袋、、、、・・・・
黙って 俺の話を 聞いていたんだけど、、、、。。。
ふと、 時計を 見て。。。。・・
「2時半か~~。。。 そんなら お父さん 今から 農協行って お金おろしてこようかね。孫六 時間あんまりないから すぐ 支度するから 車 準備せい!!」
その時 親父 も なにも 云わず。。。。。・・・・
俺に向かって 黙って 頷いた だけ。。。。・・・・・
とにかく しっかり やりんせい~。。。子供と◎子(女房の名前)のためにもな!!
悪いな!! お前が そんなに困っていたのに、近くに居てやれなくて・・・・
本当に 申しわけない!!
これが お金渡される時の お袋の 言葉 だった。。。。。
そして このことを さかのぼること 更に 2年ほど前 うちが 40歳くらいの頃、、、
お袋の妹 俺からすれば 叔母 ですが、、、、
金に苦労していた時だった。。。
叔母から 電話が、、、、
「孫六 あんた 最近 どうなんだ???」
俺
「どう??って??」
叔母
「なんか あんたの御母さん 随分 暗くて なんか 悩みがあるみたいなんだけど・・・・、あんたのお兄さんは 元気やし さおとめ家(実家)の 子供たちも 元気やし、、、 考えられるのは 孫六 あんたしか ないんやけど・・・、、、 あんた 借金とか して 困っているんやないか???」
図星 を 突かれて。。。。、、、、沈黙・・・・
叔母
「ちょっと だったら お金 貸すことができるぞ。。 叔父さんもな 孫六のことは 随分 心配しとるんや!!・・・・ 話は 通してあるんで 云ってみやぁ!! もちろん あんたの御母さんには 内緒 やぞ!!」
ありがたかった。。。。。
結局 叔母からも お金 借りた。。。。 それも かなりの金額。。。。・・・・
そんな 叔母は 2年前の ちょうど今頃 他界 した。。。。
その時 借りた お金 全額返済できた(何年か まったく返済ができずにいた)のは 他界する わずか 半年 前 だった。。。。。
全額返す前に 亡くなっていたら 俺は 一生 後悔しただろうな~~。。。
そう!!
今 俺が ここで ノー天気に ブログ 書けているのは・・・・
俺の両親 俺の叔父、叔母 の おかげ です。。。。。
そして、、、
今まで関わってきた 全ての人達 です。
俺の人生は まさに 生かされて・・です。

今の俺の生き方は、、、、
一期一会・・・
この瞬間 瞬間は 2度とないので それを かみしめて!!(大雑把ですが) という 茶道の言葉ですが、
俺自身 この 一期一会とは 人の縁 どんな状況ででも 知り合った人は 俺自身に 必ずなんらかの影響を貰えていると思って 大切 にするべきである。 と 解釈 してます。。。
親 兄弟 親戚 親友 友人 知人 などなど・・・・・
どうしょうもなく 不甲斐ない俺 ですが、、、
考えてみると 人との出会いには 大変恵まれていた。と 思います。
明日 50歳になります。!!
いろんな人に 迷惑ばかり かけていた 俺・・・
そんな俺が、、、 これからは、、、、俺自身で 何が 出来るのか????
また 何をしなければ いけないのか??・・・・親孝行 墓参りは もちろんだが、、、
そろそろ 真剣に 考えなければ いけない時期が きたかな。

今日の記事は 大真面目に 書いています。
まもなく 叔母 の 命日 です。。。
借金返済後 感謝の言葉を 叔母が 亡くなる少し前に手紙で出しました。
叔母の葬儀の日 その手紙が 叔母の家の 神棚 に 置いてあるのを、、、
見てしまった。。。。
長く お金 返せなかったこと 凄く 後悔した瞬間でした。。。。。
そして、、、俺は 身内の深い愛情の中で 生かされていたんだと、、、
いや・・・ 人と人の 深い愛情の中で 生かされていた・・・・と、、、
痛感しました。。。。・・・
スポンサーサイト