弁論大会
さてさて・・・
昨日 中学の演劇での主役の話を書きましたが、 今日は中学3年の 弁論大会。。。。
当時 成人式 で 成人の主張 というのがありまして・・・ 中学でも 弁論 を やろう!! ということに・・・・・
記念すべき第一回目。。。。 うちの中学は 1学年2クラスの全校生徒 約240名ほどのちいさな学校。。。。
各クラス1名が 選考され 全部で 6名 の弁士が選ばれ その中で 1位2位までを 表彰する大会でした。。。。
当時 うちは クソが付く位 真面目な生徒!!!
そして・・・担任の中島先生には 一目置かれる存在でした!!(まぁ、優等生ということで) さらに うちの母親がPTAの役員でもあり、しかも 母親と中島先生が同じ年齢ということもあり。。。。
ちょっと選ばれた 経緯 は 良く覚えてはいませんが、、、 当然の成り行きで うちが 弁士に選ばれました。(もっとも 好き好んで みんなの前で 演説なんて しないですよね~)
まず、、、 うち 演説内容の吟味 原稿書くことから 始まります。。。。
題材は 自由でした!!!
うちは 電車の中で お年寄りに席を譲りたかったんだけど お年寄りに声をかけられなくて 後悔したこと。そして 次からは 勇気をふるって 席を譲ろう!! なんて 単純な題材でした。。。。
ここに いきつくまでに とにかく 何回も何回も 担任の中島先生に 原稿を 読んでもらい。。。。そして 何回も何回も アドバイスを貰い(ダメだしということですが≪汗≫) やっとのことでOKを貰った記憶があります。。。。 中島先生 担当が国語だったからか 中々 厳しかったです!!!!
そして ・・・ 中島先生からの最後のアドバイス
「孫六、話の内容は これで良い。。。後は 弁論だから 話し方だ!!! 原稿を読まないで 話す内容を全て暗記して!!! 大会の時には 前を向いて 大きな声で ゆっくり 抑揚をつけて やりなさい!!! そのためには 放課後 体育館の裏で 大きな声をだして この原稿を 憶えて 抑揚をつけた話し方の練習をしなさい!!」
と・・・・云われた。。。。。。
ちなみに中島先生 普段は大変厳しく ヒステリー気味な女性の先生でした。。。
(もっとも 30歳すぎに お会いしたところ、当時の学校が荒れていて かなり演技されて 厳しくされていたことがわかったんですが・・・)
性根はとても優しく 暖かく そして熱血漢ある教諭で、うちの恩師です!!!
正直、、、大変なことになったなぁ~ て 思いました。。。 でも そこは クソが付くほどの真面目で優等生な 孫六です(あくまで当時のことですよ!!)
それからは 毎日 放課後 体育館の裏(そこはのどかな田園) 山に向かって 大声だして 原稿の暗記としゃべりかたの 練習です。。。。。
さて 3年の他のクラス 。。。。 最大のライバルであろうもう一人の 中学3年の 弁士 ・・・ うちの幼馴染で股従兄弟の 山崎(仮名)でした。。。。
かれのテーマは 母親にたいする自分の思い だったかと・・・・・

高校1年の画像で スミマセン!!
で・・・ 弁論大会結果は。。。。。
当然 うちが1位!!!
当然といえば 当然で ・・・・ 原稿を見ないで 弁論したのは うちしか いませんでしたから・・・・
先生方の 審査でしたからね!!!
ただ。。。。 話の内容からすると 山崎が一番良かったかな 、、、、 たぶん みんな心に染みたんではないかな~~~~。。。。。 山崎は2位だった。。。山崎が うちと同じように 原稿をしっかり暗記して 弁論すれば 1位だったと 今でも思っています。。。。。 母親への思い入れを主張した内容で 聞いてて グッときたもんな!!!
ただ・・・・ 山崎から「内容は 俺が一番だったな!!!」 と 面と向かって云われたときは ムカッ!! ときたが、、、、 負け惜しみ云うな!!! とは
優等生の うち は 云わんかったよ!!!だって他のみんなも陰で そんなこと 云ってたし(ハハハ・・・・)
今から思うと ・・・・・ なんで あんなに一生懸命にできたんでしょうね!!! 若かったから??? 先生が怖かったから???
ただ 本当に 勉強になったな~ と 思うのは あの弁論大会で 文章の書き方を おそわったかな・・・ 起承転結 の もっていきかた!!! そして 相手に訴える 言葉 の 抑揚???・・・・話し方のテクニックなどなど・・・・
全て 今のうち の 営業の 原点かも!!!
資料の作り方(文章の作り方) や 営業時のトーク・・・・
思えば・・・・ あれが 原点だったか!!!
そういえば 山崎も 今 営業職の 課長だしな(納得)

よ~し 今度 山崎とあったら この話で 盛り上がろう!!! あいつ。。覚えているかな~
昨日 中学の演劇での主役の話を書きましたが、 今日は中学3年の 弁論大会。。。。
当時 成人式 で 成人の主張 というのがありまして・・・ 中学でも 弁論 を やろう!! ということに・・・・・
記念すべき第一回目。。。。 うちの中学は 1学年2クラスの全校生徒 約240名ほどのちいさな学校。。。。
各クラス1名が 選考され 全部で 6名 の弁士が選ばれ その中で 1位2位までを 表彰する大会でした。。。。
当時 うちは クソが付く位 真面目な生徒!!!
そして・・・担任の中島先生には 一目置かれる存在でした!!(まぁ、優等生ということで) さらに うちの母親がPTAの役員でもあり、しかも 母親と中島先生が同じ年齢ということもあり。。。。
ちょっと選ばれた 経緯 は 良く覚えてはいませんが、、、 当然の成り行きで うちが 弁士に選ばれました。(もっとも 好き好んで みんなの前で 演説なんて しないですよね~)
まず、、、 うち 演説内容の吟味 原稿書くことから 始まります。。。。
題材は 自由でした!!!
うちは 電車の中で お年寄りに席を譲りたかったんだけど お年寄りに声をかけられなくて 後悔したこと。そして 次からは 勇気をふるって 席を譲ろう!! なんて 単純な題材でした。。。。
ここに いきつくまでに とにかく 何回も何回も 担任の中島先生に 原稿を 読んでもらい。。。。そして 何回も何回も アドバイスを貰い(ダメだしということですが≪汗≫) やっとのことでOKを貰った記憶があります。。。。 中島先生 担当が国語だったからか 中々 厳しかったです!!!!
そして ・・・ 中島先生からの最後のアドバイス
「孫六、話の内容は これで良い。。。後は 弁論だから 話し方だ!!! 原稿を読まないで 話す内容を全て暗記して!!! 大会の時には 前を向いて 大きな声で ゆっくり 抑揚をつけて やりなさい!!! そのためには 放課後 体育館の裏で 大きな声をだして この原稿を 憶えて 抑揚をつけた話し方の練習をしなさい!!」
と・・・・云われた。。。。。。
ちなみに中島先生 普段は大変厳しく ヒステリー気味な女性の先生でした。。。
(もっとも 30歳すぎに お会いしたところ、当時の学校が荒れていて かなり演技されて 厳しくされていたことがわかったんですが・・・)
性根はとても優しく 暖かく そして熱血漢ある教諭で、うちの恩師です!!!
正直、、、大変なことになったなぁ~ て 思いました。。。 でも そこは クソが付くほどの真面目で優等生な 孫六です(あくまで当時のことですよ!!)
それからは 毎日 放課後 体育館の裏(そこはのどかな田園) 山に向かって 大声だして 原稿の暗記としゃべりかたの 練習です。。。。。
さて 3年の他のクラス 。。。。 最大のライバルであろうもう一人の 中学3年の 弁士 ・・・ うちの幼馴染で股従兄弟の 山崎(仮名)でした。。。。
かれのテーマは 母親にたいする自分の思い だったかと・・・・・

高校1年の画像で スミマセン!!
で・・・ 弁論大会結果は。。。。。
当然 うちが1位!!!
当然といえば 当然で ・・・・ 原稿を見ないで 弁論したのは うちしか いませんでしたから・・・・
先生方の 審査でしたからね!!!
ただ。。。。 話の内容からすると 山崎が一番良かったかな 、、、、 たぶん みんな心に染みたんではないかな~~~~。。。。。 山崎は2位だった。。。山崎が うちと同じように 原稿をしっかり暗記して 弁論すれば 1位だったと 今でも思っています。。。。。 母親への思い入れを主張した内容で 聞いてて グッときたもんな!!!
ただ・・・・ 山崎から「内容は 俺が一番だったな!!!」 と 面と向かって云われたときは ムカッ!! ときたが、、、、 負け惜しみ云うな!!! とは
優等生の うち は 云わんかったよ!!!だって他のみんなも陰で そんなこと 云ってたし(ハハハ・・・・)
今から思うと ・・・・・ なんで あんなに一生懸命にできたんでしょうね!!! 若かったから??? 先生が怖かったから???
ただ 本当に 勉強になったな~ と 思うのは あの弁論大会で 文章の書き方を おそわったかな・・・ 起承転結 の もっていきかた!!! そして 相手に訴える 言葉 の 抑揚???・・・・話し方のテクニックなどなど・・・・
全て 今のうち の 営業の 原点かも!!!
資料の作り方(文章の作り方) や 営業時のトーク・・・・
思えば・・・・ あれが 原点だったか!!!
そういえば 山崎も 今 営業職の 課長だしな(納得)

よ~し 今度 山崎とあったら この話で 盛り上がろう!!! あいつ。。覚えているかな~
スポンサーサイト